「私」という概念、表の顔と裏の顔 上村敏郎 / 獨協大学教授・西洋史〔ハプスブルク近世史〕 週刊読書人2023年10月20日号 エリザベートと黄昏のハプスブルク帝国 著 者:小宮正安 出版社:創元社 ISBN13:978-4-422-21546-4 2022年に大人気ミュージカル作品「エリザベート」ウィーン初演30周年を迎え、2023年8月からは映画「エリザベート 1878」が日本で公開されている。オーストリアの観光マーケティングでも一際大きくクローズアップされているのが、ハプスブルク君主国の皇妃エリザベート(ドイツ語で正しくはエリーザベトだが、日本の慣例にならう)である。日本でも非常に高い人気を誇っている。 本書は、皇妃エリザベートの伝記的読み物で、誕生から暗殺までの人生を10章にわたって綴っている。19世紀後半、中欧の大国ハプスブルク君主国が政治的に不安定な時代に、エリザベートは皇妃となる。1837年にバイエルン王家の傍系の家庭に生まれ、若きハプスブルク君主国の皇帝に見初められ、予期せぬまま皇妃となった。姑ゾフィーとの対立や夫との不安定な関係、長女の病死などを体験し、自身の病気を盾に宮廷から逃避した。この選択は彼女の新しい人生の幕開けだった。ハンガリーに好意を寄せ、オーストリア=ハンガリー二重君主国の成立に関係し、息子を心中事件で失い、またエリザベート自身、スイスで暗殺されることになる。これだけでも激動の人生であることがわかるだろう。 エリザベートは、史料から把握できる事実に、色々な人々が語ってきた様々な解釈が上塗りされ、何が本当で何が噓なのか、捉えどころがなくなっている。オーストリアでは未だに多数の本が出版され、現代の価値観を投影した歴史的根拠に乏しい解釈も少なくない。その点では、本書が描くエリザベート像は、歴史背景の説明に違和感を覚えるときもあるが、史実からの甚だしい逸脱はなく、安心して読めるものになっている。 著者の主題は、「私」という概念だろう。冒頭で紹介される二面性を持つデスマスクは、エリザベートの複雑なイメージに読者を引き込む。裏の顔が「私」であれば、表の顔は外向きのメディアイメージと言える。この対比を用いて、著者は19世紀後半の社会文化を反映した「時代の顔」を描こうとしている。ただし、「私」という概念は本書で一貫しておらず、エリザベートの「私」とはなんだったのか、はっきりしない。これは読者に残された宿題なのかもしれない。 個人的には、永遠に若々しいメディア上のエリザベートが公的イメージで、その「公」と「私」の乖離が彼女を苦しめていたと思っている。皇族は特に公私の区別が難しいが、彼女は「公」を特定のイメージで塗り固め、「私」を秘匿した。この姿勢が後世に史料を残さず、多くの創作に解釈の余地を許したのではないか。この捉えどころのなさが創作者そして一般読者を引きつける魅力になっている。 エリザベートについて何か書くには、アクセスできる史料が少ないため非常に困難が伴う。著者も「おわりに」で言っているように彼女について「新たな切り口から語る」ことは不可能に近い。ブリギッテ・ハーマンの『エリザベート:美しき皇妃の伝説』上下(朝日新聞社、2005年)で史料上わかることはだいたい語り尽くされているからだ。無理に新しく書こうとすれば史実から乖離したトンデモ本になってしまう。そうした意味では、新しい伝記を世に出した著者の勇気を素直にたたえたい。本書にハーマンの伝記に書かれていない要素があるかというとはっきりしないが、本書ならではの魅力は存在する。 ハーマンの伝記の日本語訳では、ドイツ語原著に引用されていた詩が、省略されているケースが多々みられる。本書は著者訳し下ろしでかなりの数の詩を引用している。その中には日本の読者であれば、初めて目にするものもあるだろう。また、カラーで視覚資料をふんだんに掲載しており、ビジュアル的にも楽しく読むことができる。基本的に誠実にわかりやすくエリザベートの生涯を描いているので、ミュージカルや映画で興味をもった人がまず手に取るのにはちょうどいい本だろう。さらに詳しくエリザベートについて知りたい場合は、ハーマンの伝記に進むといい。(うえむら・としろう=獨協大学教授・西洋史〔ハプスブルク近世史〕)★こみや・まさやす=横浜国立大学教授・ヨーロッパ文化史・ドイツ文学。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。著書に『音楽史 影の仕掛人』『オーケストラの文明史』『コンスタンツェ・モーツァルト』『モーツァルトを「造った」男』など。一九六九年生。