メタ構造を活かした作中作ミステリ 荒岸来穂/ 書評家・ミステリ批評 週刊読書人2023年10月27日号 鏡の国 著 者:岡崎琢磨 出版社:PHP研究所 ISBN13:978-4-569-85557-8 桜庭怜の叔母、室見響子は稀代のミステリ作家だった。室見の死後、著作権を相続した桜庭のもとに、編集者の勅使河原篤が訪れる。勅使河原は室見の遺稿、『鏡の国』の担当編集だ。『鏡の国』は、室見が自身の体験をもとに小説家デビュー前に習作として書いたもので、前書きには「内容についてはほぼノンフィクションである」とまで記されている。出版に向けて編集は順調に進んでいた『鏡の国』だったが、勅使河原はゲラを読み直しているうちにある違和感を覚えたという。 「『鏡の国』には削除されたエピソードがあると思います。」勅使河原は違和感の正体をこのように結論づけ、これこそが室見響子が読者に向けた最後の謎なのではないかと言う。 しかも、『鏡の国』を読んで叔母である室見に対する印象が悪くなった桜庭に対して、「もし削除されたエピソードを知れば、叔母への印象も変わるのではないか」とも勅使河原は示唆する。勅使河原の推論が正しいのか確かめるために、桜庭は再び『鏡の国』のゲラを読みはじめる――。 作中作『鏡の国』では醜形恐怖症の主人公・香住響と、幼馴染だった新飼郷音と再会し、ふたたび仲良く過ごしていく中で、二人が疎遠になるきっかけとなったある出来事について疑惑が浮上してくる。響は郷音や仲間たちとともに過去の出来事について調べ出すが……。 本作『鏡の国』は、同名のタイトルの小説が作中で登場し、桜庭と勅使河原のやりとりが描かれる現在のパートと、作中作『鏡の国』の各章が、ほぼ交互に配置された構成となっている。 「過去に起きたある出来事の真相とは」という作中作の謎と、「『鏡の国』の削除されたエピソードとはどのようなものだったのか」という本作の謎、そして階層が異なる二つの謎がどのように結びつくのかという謎。一番上位のメタレベルの位置にいる我々読者にはこれら三段階の謎が提示されることになる。これこそメタ構造を利用した作中作ミステリの醍醐味と言ってよいだろう。だが、そのようなメタ構造が余計な複雑化を招き、リーダビリティを損ねてはいない。むしろ瑞々しくも予想だにしない展開が続く青春ミステリの趣もある作中作の合間に、桜庭と勅使河原のやりとりが挟まって新たな外部情報が追加されることで、さらに読者を作中作へ引き込ませるような構成となっている。メタ構造がミステリの仕掛けとしてだけでなく、物語の没入感を自然に高めていることは、この手の技巧を用いたミステリがどこか人工的になってしまいがちなことを思うと特筆すべきことだろう。 そしてこの三段階の謎を結びつけるキーワードこそ、タイトルにも含まれている「鏡」、そしてそれに付随する「顔」といったモチーフである。 作中作の主要人物の多くは、醜形恐怖症や火傷痕など顔にまつわる問題を抱えている。こうした悩みや葛藤が作中作の物語を駆動するだけでなく、室見響子がこの物語に『鏡の国』と名付けた理由、そしてエピソードを削除した理由とも結びついているのだ。 顔をめぐる視線を認識させる道具こそが鏡だ。本作はあらゆるレベル・意味で視線に満ちた物語であることに気づかされる。なぜなら物語を読むということは、読者が登場人物たちに視線を向けるということだからだ。作中作の登場人物が互いをまなざすだけにとどまらない。桜庭が響を見つめるように、我々読者も彼女らを見つめる。それはときに謎として、ときに暴力として、ときにコミュニケーションとして現れる。その無数の視線の中に、作者は巧みに謎と仕掛けを織り交ぜている。その意味で本作は「鏡」というモチーフを最大限に活用して、作中作を用いたメタミステリを構築している。 作中作のテーマと作品全体のミステリとしての仕掛けが上手くかみ合うように計算されており、作中作が単なる大ネタのための単なる飾りになっていない。むしろメタ的な仕掛けが物語を引き立て、一つのミステリとして完成している。本作はその相互作用が生まれるように、作中作ミステリというメタ構造が持つ意義が考え抜かれた一作であることは間違いない。(あれきし・らいほ=書評家・ミステリ批評)★おかざき・たくま=作家。著書に『珈琲店タレーランの事件簿』シリーズ『道然寺さんの双子探偵』シリーズ『季節はうつる、メリーゴーランドのように』『貴方のために綴る18の物語』『Butterfly World 最後の六日間』など。一九八六年生。