文学という「悪徳」に取り憑かれた人 柳原孝敦 / 東京大学教授・スペイン語圏文学 週刊読書人2023年10月27日号 フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路 著 者:澤田直 出版社:集英社 ISBN13:978-4-08-771823-2 フェルナンド・ペソアはポルトガルのモダニズム期の詩人である。百を超えるとも言われる「異名者」を持ち、おのおのの「異名者」に人格を振り分け、作風の異なる詩や散文、短篇小説を発表したり(発表しないまま大量に)書きためたりした。ペンネームを使い分けたのではなく、別人格を設定したのだ。たとえばアルベルト・カエイロという生まれも育ちもペソアと異なる人物を作り上げて詩を書かせ、その人物をペソア自身が師と仰いだのだ。そんなペソアは生前は国内の少数の詩人たちにのみ知られる存在だったが、書きためた原稿が世に出、死後はポルトガル以外の国々の多くの詩人や作家をも魅了することとなった。オクタビオ・パス、アントニオ・タブッキ、ジョゼ・サラマーゴ等々、私にも馴染みの者たちがペソアを愛し、論じた。特に後者ふたりはペソアあるいはその「異名者」のひとりリカルド・レイスを自身の小説の題材にしてもいる。彼らはペソアを愛したというよりも、ペソアに取り憑かれたと言った方がよさそうだ。 そんなペソアに取り憑かれたひとりが澤田直だった。フランスに学び、サルトルの思想やフィリップ・フォレストの小説などを翻訳紹介し論じる澤田は、まさにそのフランス留学中にペソアに出会い、取り憑かれ、彼の詩集を、そして散文集『不穏の書』を訳した。そしてついには評伝まで書いたのだ。 単なる伝記ではなく評伝である。ポルトガル文学の見取り図や同時代のヨーロッパの詩人・作家との比較の中にペソアを位置づけて論じる本書は、ペソア論としても読むことができる。さすがは着実な学者の仕事である。英仏などヨーロッパのいわば中心で文学がペルソナの曖昧さを追求し始めたのと同調するように、周縁の国々、つまりイタリアやスペインではピランデッロ、マチャード、ウナムーノといった作家が、そしてまたデンマークではゼーレン・キルケゴールが著者性に揺らぎをかけていたのであり、それらの周縁部の作家たちに比すべき存在がペソアであるという位置づけは、教えられるところが多い。一方で、たとえば『不穏の書』の一節におけるリルケの『マルテの手記』やボードレールからの影響を確認しつつも、そこにサルトル『嘔吐』の主人公ロカンタンとの共通点を見るところは、さすがにサルトリアン澤田ならではの視点だろう。 伝記としての読み応えはどうか? ペソアは少年時代を南アフリカのダーバンで過ごした以外はほとんどリスボンから出ることなく一生を過ごした。ときおり起業するなど山師的なところも発揮したけれども、基本的には商業翻訳で最低限の収入を得、空いた時間をひたすら書いて過ごした。結婚もせず、恋に落ちたのもただの一度(しかも相手の名はオフェリア!ハムレットの恋人の名だ)だけ。波瀾万丈の人生などというものの対極にある、ただ生きて読んで書いただけの、いわば文学に捧げた人生だ。 外から見る限り起伏に乏しいその人生においてペソアは、そのぶん「異名者」たちとの複数の生を楽しんだとも言えそうだ。「異名者」たちとの複数の生はまた、生の彼方にある世界にも通じる。オカルトや神秘主義の世界だ。そうした世界とポルトガル史上最悪の王セバスティアンに国の将来を託す「第五帝国」構想などという妄想まがいの思想も解説しつつ、生前出版された唯一の詩集『メンサージェン』を解説する章は、澤田自身の述懐によれば書き切れない恨みの残る箇所だというのだが、私はかなり楽しく読んだ。 しかし、何よりも納得したのは、ペソアが質素に暮らし、ただ文学にのみ人生を捧げたという事実だ。ペソアは読むことと書くことに、文学に取り憑かれた人間だった。ペルソナや著者性の揺らいだ時代の作家の例として、澤田はヴァレリー・ラルボーの名も挙げている。ラルボーには「罰せられざる悪徳・読書」というエッセイがある。国内では無名かもしれないけれども、世界中でその愛好家たちと話し合うことのできるような文学作品を読むという「悪徳」に取り憑かれた者たちからなる「世界文芸共和国」を措定し、現在の「世界文学」理論でも引き合いに出されることのある文章だ。取り憑く人ペソアはまた、まぎれもなく文学という「悪徳」に取り憑かれた「世界文芸共和国」の住人なのだ。ラルボーと対比されるとき、そのことに気づかざるをえない。だからこそ同じ「悪徳」に取り憑かれた「世界文芸共和国」の同胞たる私たちからこれだけ愛されるのだ。自らの専攻するフランス語に固執することなくただペソアを読むために新たにポルトガル語を学び、訳し、評伝まで書いた、同様に「悪徳」に取り憑かれた人物であることは間違いのない澤田直の仕事がそのことを教えてくれる。(やなぎはら・たかあつ=東京大学教授・スペイン語圏文学)★さわだ・なお=立教大学文学部教授・フランス文学。著書に『〈呼びかけ〉の経験 サルトルのモラル論』『ジャン=リュック・ナンシー 分有のためのエチュード』、訳書にフェルナンド・ペソア『新編 不穏の書、断章』など。一九五九年生。