「気にせざるを得ない」側の私たちの物語 吉良佳奈江/ 翻訳家・韓国語講師 週刊読書人2023年12月8日号 不機嫌な英語たち 著 者:吉原真里 出版社:晶文社 ISBN13:978-4-7949-7381-8 著者の吉原真里はハワイ大学教授、アメリカ研究、特にアメリカ文化史、アメリカ=アジア関係史の研究者であり、軽妙な文章を使いこなすエッセイストでもある。最新作の『不機嫌な英語たち』は自身の少女時代からを振り返る私小説。 十七の章の間には六編の英語のエッセイが差し込まれている。その中でも最初のThe Plastic Wrapperは菓子の袋の英文を読んだ十四歳のマリが、意味をなさない英語に驚いて菓子会社に手紙を書いたというエピソードだ。書くことを通じて社会と関わっていく彼女の人生のきっかけのようで、興味深かった。ただし、これらの英語エッセイはグレーの背景の上に、極めて小さな文字で書かれているためとても読みづらい。それこそお飾りのように差し込まれているだけでは大変もったいないので、興味のある方はぜひ拡大コピーで読んでみることをお勧めしたい。 現在の彼女を形作っているものは、さまざまな出会い方とそれぞれの濃淡で付き合った人間関係と、英語、そしてピアノだ。最初の章のタイトルは「ミリョンとキョンヒ」。渡米前、小学生のマリの思い出の中には同じピアノ教室に通う、日本語とは響きの違う名前を持つ少女たちが登場する。この本はマリの人生と同様に日本とアメリカを行ったり来たりして、多様な人種と文化のあるアメリカを切り取っていくが、対象となる日本も決して画一的ではないのだと、読者にくぎを刺すかのようだ。父の転勤によって、マリは突然英語の世界に放りこまれる。マリは「『英語ができない自分』から『英語ができる自分』への境界線を、ふっと超えた瞬間があったのだろうか」と振り返っている。母語でない言語を習得するには環境だけではだめで、継続できる努力と、目的というかある意味意地のようなものが必要なのだと思う。マリは、特に帰国してからはその環境の部分で「帰国子女」としてひとくくりにされただろうと想像するが、努力と意地が飛びぬけていた少女だったのだろう。 この私小説の面白いところは、マリが研究だけでなく恋愛も盛んに実践していて、何人もの男性との恋愛が赤裸々に描かれているところだ。マリはモテモテなのだが、その恋愛はほろ苦い。同じタイミングでアメリカでの留学生活を始めた恋人、通称「殿」は、就職が決まるとさっさと帰国してしまうし、情熱的に求め合ったベトナム出身の男性は、ボートピープルの経験を共有できない人とは結婚できないという。思いがけず自分とは異なる階層の異性から、例えば、ハワイのマンションでリフォームの資材を室内まで運び入れてくれたサモア出身の若者に、友達になってほしいと言われる。アジア人の女性である自分が大学の教授であることを想像すらできない人を前に、その人から無邪気な好意を向けられたときに、彼女は一体どのように自分自身を説明しなければならないのだろう。 「マジョリティとは『多数派』ではなく『気にしないで済む人々』を指す」と社会学者の故・ケイン樹里安氏は定義している。その意味ではいきなりアメリカの小学校に放り込まれたマリも、ハワイ大学教授という立派な肩書を持つマリも、常に自分のことをどう説明すればよいのか『気にせざるを得ない』マイノリティの一人だ。吉原真里という名前で検索すれば、白い歯を輝かせて満面の笑みを浮かべる彼女のプロフィール写真が現れる。私たちがいかにもアメリカ的だと感じるその笑顔の後ろで、マリがどれだけ説明させられてきたのかと考える。プロフィール写真は笑顔でも、「気にせざるを得ない」側の私たちはいつでもスマイルばかりではいられないのだ。 外国語で暮らしたことがある人、外国語を学ぶことで新しい視点ができた人、ただ日本にいるだけでも何かと「気にしなくてはならない人」は、この本のどこかの章に、あるいは全体を通じて深く共感するだろう。そして「気にしないで済む人々」にぜひ読んでほしい。(きら・かなえ=翻訳家・韓国語講師)★よしはら・まり=ハワイ大学教授・アメリカ文化史・アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究。著書に『アメリカの大学院で成功する方法』『性愛英語の基礎知識』『親愛なるレニ』など。一九六八年生。