那須耕介は未だに私たちに問いかけ、思考を促す 福原明雄 / 九州大学大学院法学研究院准教授・法哲学 週刊読書人2023年12月8日号 法、政策、そして政治 著 者:那須耕介 出版社:勁草書房 ISBN13:978-4-326-40430-8 政治における法と政策 公共政策学と法哲学の対話に向けて 著 者:田中成明・足立幸男編著 出版社:勁草書房 ISBN13:978-4-326-40429-2 ここで紹介する二冊は、二〇二一年九月に膵臓がんのため五三歳の若さで亡くなった、法哲学者・那須耕介のために、彼の師や同門・親交のあった研究者たちによって編まれたものである。『法、政策、そして政治』は生前、那須が執筆した論文を集めて一冊としたものであり、『政治における法と政策』は那須への追悼論文集である。那須の関心は広く、法の支配や遵法責務といったオーソドックスな法哲学的議論から、政策や政治についての一般的および個別的な議論にまで届いていたが、その中でも特にコロナ禍において日本でも人口に膾炙した「ナッジ」論については、紛うことなきトップ・ランナーであった。この二冊は主に後者の関心にまつわるものである。 那須という法哲学者を知らない者がここまでに記したような紹介を受ければ、非常に手際良く問題をまとめて整理し、それぞれの問題に次々と解答を与えていった人物なのだろうと思いそうなものであるが、評者の知るところでは、那須は寧ろその逆であった。『法、政策、そして政治』では、複雑な問題や関係のかたちを出来るだけ残して論じようと格闘する那須の姿を見ることができる。那須自身も自覚していた。たとえば生前の著作『法の支配と遵法責務』のはしがきで、法の支配論や遵法責務論の奥に控える「法とは何か」という問いを、常に「(どんな)人にとって法とは何か」という一息では答えられないような二変数の問いのかたちで扱っていたと記している。そのような自らの問題設定について、相当無理があったと、過去の自分を悔いていたようでもある。 しかし、ここにこそ今回の二冊にも通底する、那須の姿勢、そして魅力が潜んでいるように思われる。那須は自分の摑み取った問題を知られた形に整理し、切り分けることで問いに答えていくのではなく、出来る限り摑み取った形のままに描き出し、それに応答することを目指していたように思われる。「人間性という歪んだ材木」と法との関係を正面から受け止めて、その歪みを自らの法哲学に組み込もうとしていたのだろう。そこにはいつも、私たちにとっての問いは常に知られたような、好都合で綺麗な形で存在しているわけではないはずだ、という問いについての疑いがあったに違いない。 この疑いの姿勢には那須を、この二冊を読む上で重要な点が二つある。一つは、浅野有紀が指摘するように、疑いゆえに那須が「立ち止まる」ことである。立ち止まる那須は「私たちはわかっているように話しているけれど、実はよくわかっていないのではないですか」と私たちをも立ち止まらせようとする。「どうすれば」以前に「そもそもなぜ」という問いが大事なのではないですか、と那須が問いかけてくるとき、もう一歩で結論に行きつけたであろう論者そして読者は、再び思考の森に引き戻されてしまうのだ。たとえば若松良樹は、ナッジについての対談の中で那須が飲み込んだ(ように見えた)「でも」の先に続いたであろう問いかけに応えようと論を進めて、次の那須との会話に備えている。 もう一つは、浅野や近藤圭介が指摘するように、問いが「私たち」について/とっての問いであることは、那須にとって重要だったに違いない。法の支配などの法哲学研究を進めていた那須が「晩年」、ナッジ論に重心を移したのは、この点に関係があると考えて良いのだろう。歪んだ材木をさも真っ直ぐかのように扱わず、歪んだ材木として扱う筋道をそこに見出そうとしていた、ということなのだろうか。そのような那須の構えは、講義録『社会と自分のあいだの難関』からも窺い知ることができる。 このような一貫したモチーフが軸にありながら、周囲の人それぞれにとっての那須がいたと言えるほど、那須は多様な面を持っていた。先日開催された日本法哲学会においても「那須会員ならこう言うだろう」という発言が複数あった。もちろん、既にそこに那須の姿はない。それでも、未だに私たちに問いかけ、思考を促す。那須が発した問いかけは『政治における法と政策』において、各論者によって応答が試みられ、問いかけはさらに先へ進められようとしている。那須が周囲の人を引き付けて離さない研究者であり、物書きであり、人物であったことを存分に感じられる二冊である。 ここで那須といくらか距離のあった評者からの「私にとっての那須」について記すことで、本評を終えることをお許し頂きたい。評者が那須を認識したのは、学部一年生ながらに無理を言って後の指導教官に連れていってもらった東京の研究会においてである。リバタリアニズム関連書籍についての合評会で評者を務めていた那須は、リバタリアニズムにとっての「小さな政府」の指標問題について問うた後、次のように続けたのだった。「福祉国家はリバタリアニズムにとって安価な迂回路たり得るのではないか」。文字通りのリバタリアニズム信者であった当時の評者が得た、頭から水を掛けられたような心地は、二〇年近くを経た今でも忘れられない。そこに「立ち止まる」余地を見出せること自体に心底驚いたのだった。十余年後、大学院を終えた評者はこの点について那須に尋ねたことがあったが、まだ消化(昇華)できていないと判断されたのであろうか、あるいはさほど大事なことではないと考えていたのだろうか、確たる話はできないまま今に至ってしまった。次に那須に対面するまでには、評者も十分な準備をしておきたい。(ふくはら・あきお=九州大学大学院法学研究院准教授・法哲学)★なす・こうすけ(一九六七―二〇二一)=京都大学教授・法哲学。著書に『法の支配と遵法責務』『社会と自分のあいだの難関』など。★たなか・しげあき=京都大学名誉教授・法哲学。著書に『カントにおける法と道徳と政治』など。★あだち・ゆきお=京都大学名誉教授・政治学。著書に『公共政策学とは何か』など。