数々の直弟子には示しえぬ所作 鈴木規夫 / 愛知大学教授・政治哲学 週刊読書人2023年12月15日号 井筒俊彦 起源の哲学 著 者:安藤礼二 出版社:慶應義塾大学出版会 ISBN13:978-4-7664-2842-1 実に生真面目な一書である。 頁を繰るたびに著者の井筒俊彦への真摯な姿勢が溢れんばかりに垣間見えてくる。そこには井筒その人の謦咳に接したことのある人々が井筒を語る際に漂わせる独特のえも言われぬ緊張感とは異なる何かを感じる。「井筒俊彦の一神教は、折口信夫の神道と鈴木大拙の仏教を一つに総合するものとして形になった。それが私の結論である」(i-ii頁)と早々に宣言して始められる本書の素直さは、井筒の数々のお弟子の方々にはとても示しえぬ所作であろう。井筒の直弟子のお一人である黒田壽郎からイスラームのあれこれを手ほどき頂いたこの書評子にとってはそうした驚きにも充ちた一書でもある。 とりわけ数々の関係者への取材やフィールドワークも重ねてものされている第一章「原点——家族、西脇順三郎、折口信夫」の記述は実に興味深い。西脇や折口との出会いは著者のこなれた筆致で鮮やかにまとめられているが、井筒の「父」と「母」そして「おば」については引き続き謎の残るものになっている。「果たして父の観照的生の修行がその極限に達したかに見えたとき、却ってそれは彼にとって生への完き絶望、すなわち死を意味した。観照的生の完成こそ生命そのものの完成を意味する筈であったのに」という、後に井筒自身により削られることになる『神秘哲学』初版序文を引きながら、著者は「ただ井筒の「父」が、清らかな求道者であることと汚れた罪人であることを両立してしまえるような奇怪なパーソナリティを持っていたことだけは分かる。そのような「父」が見初めた井筒の「母」は芸者であった。少なくとも、井筒俊彦は松本正夫にそう伝えていた」(六頁)という。そして井筒の一族は墓誌に刻み込まれた五人の名前を残して、あとはすべて「無」へと消滅してしまった(二頁)としている。 第一章でも言及される大川周明との関係については、第四章でより詳しく触れられている(古在由重との交流に一言の言及もないのは残念であるが)。「大乗仏教の理念を最新のヨーロッパ哲学によって止揚した西田幾多郎と「大東亜共栄圏」のイデオローグとなったアジア主義者である大川周明。その二人の交点にこそ、井筒俊彦の起源が存在する」(一三四頁)と断言する著者は、「井筒俊彦の哲学は、大東亜共栄圏とイラン革命を一つに結び合わせる、戦争の哲学にして革命の哲学であった。そのような事実を、なによりもいま、冷静かつ客観的に明らかにしていかなければならない。真の井筒評価は、そうした「おぞましさ」の直中でこそ果たされなければならない。それこそ井筒の哲学を未来にひらいていくことにつながるはずである」(一二七-一二八頁)という。 井筒の〈東洋哲学〉がまさにそれである。ただ〈東洋〉も〈哲学〉も欧文脈に応じて近代日本の受容し構築されたものの「翻訳」であり、そのように予め自覚しそれがさらに脱構築されて〈東洋哲学〉が立ち現れる。「すぐれてイスラーム的な存在感覚と思惟の所産であるこの形而上学(イブン・アラビーの存在一性論)を、たんにイスラーム哲学史の一章としてではなく、むしろ東洋哲学全体の新しい構造化、解釈学的再構成への準備となるような形で叙述してみようとした。こういうといかにも野心的なようだが、いくら野心ばかり大きくとも、実践が伴わなくてはなんにもならない。……とまれ、このような東洋思想の遺産の重層的総体を担いながら、しかも明治以来圧倒的な力で流入してきた西洋思想の影響で多分に西洋化された心をもって世界を意識し、「欧文脈」化された思惟方法でものを考えながら、われわれはこの時、この場所を生きている、そういう実存で、われわれはある」(『イスラーム哲学の原像』序)という明確な自覚を井筒が持ってきたことが、天才の天才たる所以なのではないか。 この井筒の〈東洋哲学〉は、後にデリダが「(非西洋世界に)フィロソフィーは存在しない」と言った当たり前の哲学の歴史を予め止揚していたが故に、デリダの「脱構築」に驚くことはなかった。さらなる問題は〈東洋哲学〉の「実践」を二一世紀においてどこが担うのかである。〈哲学〉を未だ欠いている「一帯一路構想」にどうそれが組み込まれうるのか、議論すべき時がすでに来ているように思える。(すずき・のりお=愛知大学教授・政治哲学)★あんどう・れいじ=文芸評論家・多摩美術大学教授。著書に『神々の闘争』など。